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県社協のご紹介

新春特別 巻頭インタビュー(2026年1月)

社協の強みは福祉を丸ごと考えて、自ら実践できること          ~地域の多様な人をつなぐ役割~

 長く福祉行政に携わり、現在は全国社会福祉協議会に身をおき、今度は民間の視点で福祉活動を推進している村木厚子会長。これまでのさまざまな経験をきっかけに、若い女性や罪に問われた障害者の支援活動にも取り組むなど、幅広い活動をされています。村木会長に福祉への思いや、社協の役割などについて本会の金子副会長が伺いました。

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社会福祉法人 全国社会福祉協議会
村木(むらき) 厚子(あつこ)会長

 

1955年高知県生まれ。土佐高校、高知大学卒業。1978年労働省(現・厚生労働省)入省。
女性政策、障害者政策、こども政策、困窮者政策などに携わる。
2009年、郵便不正事件で虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われ、逮捕・起訴されるも、翌2010年、無罪が確定、復職。2013年から2015年まで厚生労働事務次官。2023年から中央共同募金会会長、全国老人クラブ連合会会長。
累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」や、生きづらさを抱える若年女性を支援する「若草プロジェクト」の活動にも携わっている。

 

プロフィール写真

 

 

副会長との写真

全社協に設置された渋沢栄一翁の像の前で
村木厚子会長(左)と金子直史本会副会長(右)

金子  現在、和光市にお住まいですが、埼玉県の住み心地、印象などをお聞かせください。

 

村木  もともと住んでいた練馬や板橋に近く、通勤できる場所ということで探した結果、和光市に決めた経緯があります。今、振り返ってみても住んでよかったと 満足しています。獲れたての野菜が並んでいる販売所や、カタクリの群生地など自然に恵まれている一方で、都心へのアクセスも良く、通勤にも便利です。二人の娘がおりますが、子育てにも適した環境だったと思います。

 

金子  高知県のご出身ですが、幼少期はどのようなお子さんでしたか。地元での思い出など教えてください。

 

村木  22歳までずっと高知県で過ごしたので私にとっては大切なふるさとです。こどもの頃は対人恐怖症に近い、極度の人見知りでした。幼稚園の入園面接の会場に泣きじゃくっていて入れなかったという、失敗体験もあります。また中学時代は隣の席のクラスメイトに「おはよう」が言えず、一度も会話することができないまま席替えになってしまうという、残念な経験もありました。
 人見知りを克服するきっかけはアルバイトでした。アルバイト先では先輩から指示を受け、それに応える必要があるため、必然的に相手と話すようになりました。少しずつ鍛えられ、人とコミュニケーションを取れるようになったことが自信につながりました。ある意味、仕事が私を救ってくれたのだと思います。

 

金子  大学卒業後は労働省に入省され、女性政策、障害者政策、こども政策、困窮者政策など、長く福祉行政に携わってこられました。その間、大切にしてきたことや心がけてきたことについて伺えますか。

 

村木  私は37年半の役所勤めのなかで約21のポストを経験したので、異動のたびに新米として一から勉強しなければなりませんでした。厚生労働省に統合されて福祉と出会ってからは、福祉行政の先輩に教えていただくのはもちろん、障害者団体などの当事者団体、子育てや生活困窮の支援団体、ケースワーカーなどの専門職の方にもお世話になりました。現場を見て、現場の方に直接会って教えていただくことを大切にしてきました。
 しかし福祉行政は非常に難しく、誰もが納得して、喜んでいただける100点満点の制度をつくることはできないことを実感しました。反対の声やお叱りの声もたくさんいただきました。財源や人材の制約が非常に厳しいなか、財源を確保しようとすると国民に負担を課すこととなり、相反することを調整しなければならない。上手に立ち回ることができる人もいると思いますが、私にはできませんでした。
 そこで交渉時は正直に話し、言えないこともあるけれど絶対に嘘はつかないということを心がけていました。

 

金子  キャリアを積み重ねるなかで、冤罪事件がありました。大変な体験をされたと思いますが、当時の心境をお聞かせください。

 

村木  突然逮捕され、職場にも大きな迷惑をかけてしまいました。嫌な経験でしたが、多くの発見もありました。
 そのときに感じたことは、それまで私は支える側の人間だと無意識に思っていましたが、ある日突然、弁護士や家族、友人など多くの人に支えてもらわなければ生きていけない状況になるということでした。そして、世の中には支える人と支えられる人の二種類の人間がいるのではなくて、ひとりの人間が、あるときは支える側になり、その同じ人間が支えられる側にもなる。今振り返っても、そのことに気づけたことはよかったと思っています。

 

金子  事件のあと、二つの市民活動団体を設立されました。

 

村木  一つ目の「共生社会を創る愛の基金」は、障害のある方が福祉とつながっていないために罪を犯してしまう状況があり、しっかり支援しようというのが設立趣旨です。二つ目の「若草プロジェクト」は、親を頼れない過酷な家庭環境のなかで苦しんでいるなど、生きづらさをかかえている少女や若い女性を支援する団体です。
 この二つの団体の立ち上げは拘置所での経験がきっかけです。実は拘置所の中で顔を合わせる入所者の多くが、想像していたような怖い人たちではなく、障害者や高齢者など、福祉の支援が必要な人たちだったのです。なかには困窮状態から抜け出せず、三食提供される刑務所に戻りたくて、罪を繰り返すという累犯者も少なくありません。
 私の食事を運んでくれたのは、薬物や売春の罪で服役している若い女性の受刑者たちで、とてもまじめな働きぶりでした。後で調べてみると、彼女たちは貧困やネグレクト、性暴力など過酷な環境で育っていることが分かりました。
 こういった人たちが罪を犯す前に、相談支援につなげ、必要なサービスが受けられるようにしたいと考えて活動しています。

 

金子  全国社会福祉協議会(以下、全社協)の会長に就任されて二年以上経ちますが、社協の最初の印象はいかがでしたか。

 

村木  令和5年6月に全社協に来て、「社協は福祉をまるごと一体的に考えることができる組織」だと知り、とても感激しました。厚生労働省には高齢・障害・児童などそれぞれの所管の部署はありますが、縦割りで福祉をトータルに考えている部署はありませんでした。
 また、全社協のある幹部から「社協とはマクロのソーシャルワーク(※)をするところ」という話を聞きました。ソーシャルワーカーの役割は、困りごとを抱えておられる人の状態を把握して、必要な制度やサービスを利用できるように調整するなど、暮らしをサポートすることです。同じように社協は地域の状態を幅広く把握して、現場を知る立場で必要な福祉の事業やサービスを考えます。そして、関係者や地域住民とともに、不足している事業や今後必要なサービスを立ち上げて、実践することができる。そこは社協の大きな強みだと思います。

 

金子  今後社協が果たしていく役割についてお話しいただけますか。

 

村木  福祉の関係者は自分の担当する分野の人に対して太く長い命綱を編んでいます。しかし現代のように社会の状況が厳しく、また複雑になると、その命綱を結び合わせて網(あみ)をつくらないと、複数の困りごとを抱えている人を支えることができません。そのためには福祉の関係者同士が横につながるだけでなく、地域住民や企業の協力も必要です。この網づくりを指揮できるのは現場をよく知っている社協しかありません。その役割を担うことが期待されています。
 また、社協のポジションは行政にも地域住民にも近く、福祉のさまざまな分野を含め、上手にプラットフォームをつくることができれば、地域の多くの人が参加して、活動してくれることでしょう。それは他の機関にはできない唯一無二の役割だと感じています。

 

金子  最後に、社協職員にメッセージをお願いします。

 

村木  日本福祉大学では、「ふくし」=「ふつうのくらしのしあわせ」といっています。その言葉に出会い、とても共感しました。役所は制度でしか考えられないのですが、制度を超える部分も合わせて、普段の暮らしの幸せをつくっていくという、社協ならではのミッションに共に取り組んでいきましょう。その先にきっと住みやすいまちの姿が見えてくると思います。

 

金子  終始、穏やかに優しい微笑みを返しながら答えてくれた村木会長。一方、「絶対に嘘はつかない」という現場の方々に対する強い信念も感じることができました。社協の強みは「必要なサービスを自ら立ち上げて実践できること」と話すその姿に、社協のあるべき姿が見えた思いです。お忙しい中、ありがとうございました。

 

※マクロのソーシャルワーク 社会全体や地域社会を対象とした支援アプローチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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